ええ、しょっちゅう。

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マーニーの登場するシーンで一番好きな場面。


初対面にも関わらず、親しみ深く接するマーニーを不思議に思った杏奈が「私を見たことがあるの?」と尋ねると、マーニーは優しい視線を落とし、笑み浮かべてこう答える。

ストーリーを知った後で観返すと、その笑みが一層意味深いものと感じられ、強く胸を打つ。



「ええ、しょっちゅう。」と、優しく答えた直後、マーニーはうっすらと目を細める。

その表情は、まるで抱擁。





マーニーは劇中で、いつでも杏奈に寄り添っていた。

容易に方を抱き、踊り、手を握り、抱き寄せる。言葉で抱擁し、視線で抱擁する。


杏奈が欠乏していた慈愛を、
マーニーは誰よりも杏奈の心の「核」に寄り添い、惜しみなく注いだ。









本当は、自分自身が心の底から求めていた慈愛を。










孤独で悲運でありながらも、その姿を杏奈に一切見せず、幸福を装い、演じ、

ただひたすら、目の前で苦しむ杏奈に、優しく愛情を注ぐ、かわいそうな少女。

マーニー。






   
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めぇめぇうるさいヤギみたい。

anna


杏奈の閉鎖的で孤独なキャラクターを表す象徴的な台詞。


もとよりこの映画は「杏奈の心を描けるかどうか」が音楽にしても画にしても重要というような発言を米林宏昌監督はされている。

「この世には、目に見えない魔法の輪がある~」のくだりは、小説にも出てくる表現で、恐らくこれだけではシリアスさしか伝わらない。


自ら心を閉ざし、相対する多くのものへ嫌悪感を持つ。そういう独特の心理状態を、この台詞は決定的にしていると思う。



この映画は、物語が進むにつれミステリアスな真相が明らかになり、全てわかった後で最初からもう一度観返したくなる、そんな展開なのだけども、少なくとも杏奈の(最初の)キャラクターだけは一発目から鮮烈に記憶に射し込まれる。





閉ざされていて、ざらついていて、大人びている、少女さを誰にも手の届かない奥深くまで閉じ込めた少女。杏奈。








  

初稿。 ブログ制作意図。

最初の感動は、2013年に遡る。


初秋、巷ではまだ「風立ちぬ」が公開中で、僕は地元の映画館のレイトショーへ行った。

10人も居ないスクリーンで僕が目を奪われたのは、本編ではなく、予告編で流れた「思い出のマーニー」だった。


ショートヘアの少女と金髪の少女。大人びた色使いの世界と、見るからに謎めいた洋館。サイロと落雷。

そして、それを否定するようなメルヘンに満ちた主題歌。それらが絶妙に重なって生まれる“不思議”。

ストーリーも知らないくせに、予告編の数分の映像で僕は最初の涙を流したのだった。




そして1年後の公開。




長い長い1年を経て観ることのできた物語は、僕の期待を遙かに、遙かに超える感動だった。


僕は無心で映画館へ通った。妻と行き、娘と行き、出張先のレイトショーでも観た。1日に2度観た日もあった。

恐らく、感動を反芻したかったのだろう。そして、公開が終わってしまうことが怖かったのだろう。

ジメジメした夏、肌寒く薄暗い空間で観る、二人の少女の特別な一夏。この感動とこの感触を心に刻み込むために、可能な限り通い続けたのだった。



IMG_1267.jpg





その、物語としての感想も去ることながら、僕はこの映画を観て初めて、「アニメーション映画」に関心を抱いた。


どのように創られていくのか、どのような人々が関わっているのか、そして、疲弊したアニメーション業界の実態・・・。





「思い出のマーニー」をとっかかりに、話題にあげたいことはいくつもある。

カテゴリは書きながら分けていこう。まずはこの名作を、この場を用いて賞賛することに専念しよう。



誰に勧められたわけでもなく、何のためでもなく、ただただ、自分自身の披瀝のために。






2015.8.1 tadasuko
プロフィール

tadasuko

Author:tadasuko
あと数年で40歳。アニメーションとはほど遠い業界の、小さな会社をやっています。

ここでは実社会の自分から完全逃避して(笑)自分の人生に大きな衝撃を与えた「思い出のマーニー」のすばらしさをひたすら書き殴っていきたいと思います。

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